Philosophische Forschungen
von ISHIKAWA, Iori
石川伊織 哲学研究

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上演・表象・現実化
Aufführung / Vorstellung / Verwirklichung

『県立新潟女子短期大学2006年度・2007年度共同研究「教養教育の戦略的再構築――メディア・人間・世界」最終報告書』, 2008/03/01 (2024/09/19 補注)


1.哲学の完成? 舞台芸術の未完成?

 舞台芸術は、実際の舞台で上演されてはじめて作品として完結する。しかし、これは「完結」ではあっても「完成」ではない。作品はあくまで観客の前で一応「完結」するだけである。そし て、上演のたびごとに異なった「完結」が成り立つ。同じ作家の同じ作品が同じ演者による演じられても、舞台はそのたびごとにことなった「完結」をもたらすのであって、こうしたあり方は「完 成」というイメージとは程遠い。そしてまた、見るたびに、聴くたびに、異なった完結があり、異なった発見があるがゆえに、舞台芸術には興味が尽きないのでもある。言わば、舞台芸術は完成し ないがゆえに芸術たりえている。

 完成の不在は、しかし哲学的要請からすると困った事態でもある。哲学が真理を概念の形で把握するものであるように、芸術は真理を表象として直接に覚知する。このように哲学が考えるの ならば、芸術の哲学としての「美学」にとっては、直接に覚知されるべき芸術的真理は、覚知に先立って完成しているのでなくてはならない。とすれば、上演という行為が不可欠であるような舞 台芸術は、芸術たりえないということになる。この理屈でいけば、芸術家(作家)の手を離れた段階で完成するような性質の作品が作られるジャンルこそ、芸術的には高度であるということにな ろう。詩も小説も、通常の理解では作家の手を離れた段階で、それ以上改変不可能な完成形態に達するとされる。そうであるからこそ、書かれてから数十年も後に作者が作品に手を入れること(た とえば井伏鱒二が全集の編集に際して『山椒魚』に大幅な修正を加えたような)は、物議を醸すことになる。

 だが、これは芸術理解として穏当であろうか? ヘーゲルの芸術理解を手がかりにこの問題を考えていくと、上演のもつ重要な意味に逢着せざるを得ない。そして、この意味こそは、隣接す る芸術の諸分野と舞台芸術との、さらには芸術と芸術を取り巻く社会的諸連関との間の、錯綜した関係に光を当てることになる。

2. 歌と歌詞

 1824年9月、ロッシーニのオペラを観るためだけに、600Kmを越える長旅をして、ヘーゲルはヴィーンにやってくる。ことの顛末は毎日のように書かれた妻宛ての書簡(註1)に詳しいが、この書簡 というのが極めて興味深いものである。膨大な書簡はほとんど全編、オペラを観劇した記録なのであるが、しかし、記録されているのは、彼が観た作品の題名と作曲者(モーツァルトとメルカダ ンテの一曲ずつを除けば全部ロッシーニなのだが)の名前、それから、歌手の名前とその超絶技巧にたいする賛美ばかりなのである。一応は劇作品なのであるから、芝居のストーリーというもの もあるだろうに、これに関しては何の言及もない。ヘーゲルは歌、それも歌手の卓越した声を聴いていたのであって、芝居を見ていたのではない。オペラの観方としてはすこぶる異様なものであ ることは間違いない。

 ヘーゲルの『美学講義』によれば、音楽とは主観的内面性の表現であって、ロマン的芸術に属するものである。音楽は、内面という目に見えないものを音という抽象的なものによって表現す る。とはいえ、音楽とは、もともとは人の声によって歌われた「歌」であった。音楽という抽象的なものを理解するために、歌詞という文学的テキストが用いられたのである。歌とは、「音楽の精 神的な内容が、単に抽象的な内面性という形で、つまり主観的な感情として捉えられるのではなく、この内容が、表象によって形作られ言葉によって把握された音楽の運動の中へと入り込んで くる」(註2)ような音楽である。

 これをヘーゲルは「随伴音楽(begleitende Musik)」(SK15-195ff.)と呼ぶが、考えてみると、これは珍妙な表現である。begleitendeとは、動詞begleitenの現在分詞を形容詞化したものであ るから、この形容詞を付されたMusikはbegleitenの意味上の主語となるはずである。だから、この表現ではMusik=「音楽」が歌詞にbegleitenしていることになってしまう。

 しかし、ヘーゲルはそうは考えていない。歌詞が文学として立派なものであれば、そもそも音楽をつける必要がない。音楽として意味をなす作品であるためには、音楽が余計物であっては ならない。「テキストが音楽に奉仕しているのであって、テキストは、作曲家が選んだ作品の特定の対象(テーマ)に対して、それにふさわしい表象をあてがう、という以上の正当性をもた ない」(SK15-192)。文法的には破格ながら、begleitende Musikという表現で、ヘーゲルは、テキストが音楽に随伴しているということを言いたかったのである。

 こういうテキストは、文学的にはそこそこの代物でよく、荒唐無稽でさえなければ充分である。「歌曲(Lieder)やオペラのアリア、オラトリオのテキスト等は、詩としての出来という点で は貧弱でもほどほどの代物でも充分である。音楽家に活躍の余地を与えるためには、作詞家は詩人としての評価を求めてはならない」(SK15-147)のである。モーツァルトの『魔笛』の台本も、こ のような観点から高く評価されることになる。シカネーダーの手になるこの台本の馬鹿馬鹿しさはつとに名高いけれども、それは「文学的には駄作だがオペラの台本としては良い」のではなくて、「 文学的に駄作であるからこそ最高の台本」なのだとヘーゲルは言う。とんでもない褒め言葉もあったものである。ヘーゲルはそもそもオペラの筋書きや歌詞にたいした価値を認めていないので あるから、前述の書簡の中にオペラ作品の文学的内容について言及が皆無なのも、当然といえば当然なのである。

3. 演奏者の自由

 ところで、注目すべきは、前節に引用した『美学講義』中の「音楽家に活躍の余地を与えるため」という言葉である。ここでは、詩人が作曲家に活躍の余地を与えなくてはならないとされて いたのであるが、歌手による上演を経て作品が形になる以上、今度は作曲家が歌手に活躍の余地を与えなくてはならない。「イタリア・オペラでは歌手に多くの裁量が許されている。特に装飾音にお いてはそうだ」(SK15-220)。ここで言う「装飾音」とは、アリアの中に出てくるコロラトゥーラのことである。当時、ヴィーンではロッシーニの書くアリアの華麗なコロラトゥーラが絶賛されて いたのであった。しかし、華麗なコロラトゥーラは歌手の即興に依存する部分が大きい。ヘーゲルは言う。「ロッシーニは歌手たちの負担を軽減させていると言われるが、それは一面の真理に過ぎ ない。ロッシーニは歌手たちの自立的で音楽的な天才の働きを繰り返し求めているのであるから、むしろ歌手たちの負担は重くなっているともいえる」(SK15-220)。

 同じことは書簡では次のように表現される。ヴィーンのイタリア人歌手たちの場合、「音楽の中に彼らの全人格が入り込んでおり、……彼らの表現もコロラトゥーラも、すべて彼ら自身の 中に見出され、彼ら自身の中から生み出されてくる」。音楽の中にオペラを刻み込むという点では、彼らはまさに「芸術家(Künstler)であり作曲家(Compositeurs)」なのだ(Briefe III-56)。オペ ラを「作曲」しているのは作曲家だけではない。歌手たちもまた、舞台の上でともに音楽の「作曲」に従事している。オペラの上演はそのたびごとに新たな芸術作品の創造である。再度『美学講 義』の表現を借りるなら、ロッシーニの舞台を観る者は、「そこに芸術作品を見るだけではなく、まさに目の前で実際に芸術が創造されているのを見る」(SK15-220)のである。聴衆は完成した芸 術作品が舞台にかけられるのを聴いているのではなくて、芸術創造の過程を眼の前にしているのである。

 こうした考え方は、作品の「完成」についての常識をはるかに超えるものである。音楽作品は作曲家が楽譜を書き終えた時に「完成する」のではない。演奏家は「完成した」作品を上演し ているのではない。そうではなくて、演奏家による上演によって、音楽作品は一応の「完結」を見るのである。実際、楽譜は音楽構造のラフスケッチに過ぎない。楽譜を読むには、作品の様式を 知らなければならない。作曲者は演奏者や聴き手が時代の様式を熟知していることを前提に楽譜を書き起こす。書かなくてもわかりきっていることは、楽譜に書き込まれたりはしない。また、 この前提が崩壊している場合、楽譜は音楽を表現し得なくなる(註3)

 手稿や印刷楽譜についての文献学的研究が必要なのはこのためである。時代の様式を知らなければ、後世の演奏家は作品を上演することはできないし、作品は画竜点睛を欠いたまま、したが って未完結のままであり続ける。また、演奏者の力なしには作品は体をなさないのだから、演奏者の役割、解釈の自由さというのがきわめて重要になってくる、ということにもなる。様式の厳密な 研究(=楽譜そのまま・作品それ自体の探求)と作品の自由な解釈とが両立しうる理由は、ここにある。バッハやモーツァルトの新版の全集を編集する過程で様式上の特徴や問題点が明らかになっ てきた結果、近年のバッハ演奏、モーツァルト演奏は明らかな変貌を遂げている。これもまた、作品が「上演」をもって完結するという舞台芸術の特性である……というふうに、この段階では言っ ておこう。

4. 芸術は真なるものの感性的表現か?

 上演をもって完結する舞台芸術の問題点を熟知した上でヘーゲルが以上の考察を行っていることは明らかであろう。だが、こうした見方がヘーゲルの『美学』体系上どのような位置にあるの かも問われなくてはならない。

 まず、ヘーゲルが「美学(Ästhetik)」の意味を大きく転回させた人物だったことを指摘しておく必要がある。Ästhetikとは、古来「感性の学」を意味した。理性の学である哲学と意思の学で ある倫理学とに対立するものとしての感性の学、それが「美学」であった。であるから、これは正確には「感性学」とでも訳されなくてはならない。事実、ヘーゲル以前のÄsthetikは、能動的な 理性や意思に対して、もっぱら受動的である感性に触れてくるあらゆる対象を扱っていた。感性に触れてくるのは芸術には限らない。自然美もまた、感性の対象である。しかし、ヘーゲルは『美 学講義』の冒頭で、自然美の問題を彼のÄsthetikの対象から除外する。生涯に5回繰り返された美学講義でも、その多くで、講義題目においてさえ「美学」が「芸術哲学」であることを明言して いる。美学は感性の学であることをやめたのである。

 「美学」が「芸術の哲学」となった以上、美学にとって、美的なものを感受するだけでは問題は終わらない。芸術作品が対象であって、それはほかならぬ人間が創作したものであるからして、 美的なものの創作と感受がともに論じられなくてはならない。だが、創作される美的なものとは、個人の主観の表現であるのか? そうであるなら、個人の主観に過ぎないものが万人に共有される美 となる筋道が説明されなくてはならない。それとも、美的なものとは超越的な美の本質の表現なのであろうか? そうであるなら、超越的な美の本質が表現され尽くされた時点で芸術は完成す る。芸術は終焉するのである。そしてまた、上述のように完成という形態には原理的に達し得ない舞台芸術は、芸術ではないことになる。しかし、『美学講義』の目次を見れば一目瞭然のよう に、オリエントの象徴的芸術に始まってギリシア・ローマの古典的芸術を経てキリスト教的ロマン的芸術に終わる彼の芸術理論体系において、その最後の段階であるロマン的芸術の最高の表現 は、実は演劇なのである。当然のことであるが、上演を伴わない演劇というのは存在し得ない。とすれば、ヘーゲルの美学体系は、超越的な美的本質の実現というような論理構造を持ってはいな かったと言わざるを得ないだろう。ヘーゲルの意図はどこにあったのだろうか?

5. 悲劇の上演:『精神現象学』の悲劇論由

 論理学や自然哲学や自然法論は、ヘーゲルがイエナに赴任した1801年当時からくり返し講義されている。一方、美学が講義題目に上がるのは1818年のハイデルベルク大学における夏学期である(註4)。こ の間、美的な表象や芸術についてヘーゲルが論じてこなかったのかといえば、そうではない。美的表象や芸術は、むしろ宗教や人倫との関係で論じられてきたのであった。

 1802年以前の執筆とされる「自然法論文」には「人倫における悲劇の上演 (die Aufführung der Tragödie im Sittlichen)」という一節がある(SK02-495)。この時期、ヘーゲルは近代の自然法思 想をギリシア的人倫の観点から批判しようと試みている。これによると、人倫において絶対者は自分自身との間で永遠に悲劇を演じているという。「絶対者は客体的なものという形で自分自身を永遠 に生み出し続ける。こうして、絶対者自身が(客体的なものという)こうした形態をとることで受苦と死とに身をゆだね、自らの(死の)灰の中から(蘇って)栄光へと向かって自らを高めていくの である」。ここで悲劇を演じているのは絶対者自身である。人間が理想としての神を演じているのではない。神の自己産出の運動がすなわち、神が神自身を演じることを意味する。ギリシア悲劇それ 自体がギリシア的な社会のあり方、すなわちギリシア的人倫そのものである。神々自身による悲劇の上演は永遠の自己産出として繰り返されるのである。

 これが1807年の『精神現象学』になると、ギリシア悲劇がギリシア的人倫のあり方と一体であるにしても、これは人間の手によって上演されなくてはならないものと捉えられることにな る(SK03-327ff., SK03-529ff.)。演じる人間は無である。無である人間が神々の仮面を着けて神々を演じる。神々は仮面を拠り代として降臨する。この結果、舞台の上に神的な本質が姿を現す。だ が、姿を現す神的本質は、神々の掟と人間の掟という二重の掟であり、ジェンダー的に振り分けられた両性の使命であり、これをそれぞれの登場人物に割り当てる神々の命令である。ここには必然 的に対立と葛藤が生じる。舞台の上では、普遍的なものの対立・相克と、対立しあうもの双方の没落とが演じられるのである。神々は、人間の演技によって舞台上に降臨するのであった。しかし、降 臨した神々は対立しあい、そしてともに没落する。神々の没落の後に残るのは、演技を終えて仮面を脱いだ人間である。無であった人間は、神に憑依され神を演じることで、神々の本質が実は彼ら人 間に他ならないことを自覚する。こうしたありようが、表象(Vostellung)として、すなわち舞台上の視覚的イメージとして展開されるのが、上演(Vorstellen, Vorstellung)という行為である。

 ここに展開されている悲劇論は、上演という行為についての極めて示唆的な考察であると言えよう。それは、完成された「作品」が上演という形で舞台上にvorstellen(=表象化・イメージ化)さ れるのでも、上演によって何かが完成されるのでもない、こうした固定的な見方とは異なった視点を示しているからである。重要なのは、第一に、上演によって神的本質は表象化・イメージ化される けれども、それによってまた本質的なもの・絶対的なものが没落し解体してしまう、ということである。上演によってしか絶対者は舞台上に降臨しはしないが、降臨することで絶対者は解体してしま うのである。第二に、上演によって人間は自らについての自己認識に達するということである。

 しかし、これらの議論がいかに示唆的であっても、これらはギリシア悲劇を芸術として考察したものではない。むしろ、古代ギリシアの社会の本質を示すものとして、ギリシア悲劇が比喩的に 援用されているに過ぎない。ここで語られているのはむしろ政治であり、人倫であり、宗教である。ギリシア悲劇が示すこれらの諸側面はすべて、古代ギリシアという特定の時代の特定の地域の精 神と結びついている。その限りで、これらの諸特性は古代ギリシアの終焉とともに滅び去ったのである。ギリシア的人倫を復興することで近代自然法の限界を超えようとするのが、「人倫における 悲劇の上演(die Aufführung der Tragödie im Sittlichen)」という構想であったが、古代ギリシアが終焉を遂げている以上、この構想は破綻せざるを得なかったし、『精神現象学』での悲劇論も、そ もそもが、古典古代の終焉を悲劇の上演における神々の黄昏として論ずる構想のもとに叙述されたのであった。芸術が芸術として論じられるところには、いまだ達していないのである。

 ヘーゲルが『精神現象学』で言う「芸術宗教」という表現は、それゆえ、ことのありようを的確にあらわしている。芸術は宗教として、宗教は芸術としてその姿を現す。神々は舞台上で演じら れる神々として表象されるのである。しかし、こうした宗教・芸術のありようは、古典古代の終焉とともに終わらざるを得ない。にもかかわらす、近代思想は「近代における古典古代の復興」という 形で登場してくる。紀元前に消滅したはずのものを、近代的な意味を纏わせて再度よみがえらせずにはおかないのである。しかし、キリスト教という啓示宗教を経過した近代において、芸術として宗 教を再興することはどだい不可能なことであった。問題は、近代の側のこうした論理構造に起因していたのである。

 それゆえ、芸術は芸術として考察の対象とならなくてはならない。ヘーゲルが「美学」を感性の学から解放して「芸術の哲学」と捉えなおしたことは、その意味で、芸術理解への重要な第一歩 であった。しかし、ヘーゲルの美学には「芸術の終焉」云々議論が着いて回る。時代の真理の表象的な表現を芸術に見るという観点を取るなら、どうしても、芸術が精神の自己展開の過程で重要な役 割を演じる時代は過ぎ去ってしまったと結論付けるほかはなくなる。それゆえにこそ、芸術をまずは芸術として理解する必要がある。もちろん、芸術のための芸術を批判することは必要であろう。し かし、それが可能になるのは、まずは古代ギリシャの理想化というヴィンケルマンの亜流から脱却してからのことである。

6. 上演と表象

 ところで、以上の議論の中では、「上演」にAufführungとVorstellungの二つのドイツ語が当てられていたことを想起されたい。データベースで検索する限り(註5)、ヘーゲルの著作にはAufführungの 用例は極めて少ない。「人倫における悲劇の上演」というのがほとんど唯一の用例である。これに対して、『精神現象学』でも『美学講義』でも、一貫してVorstellungが用いられている。

 Aufführungは「上に持ってくること」、Vorstellungは「前に据えること」。ともに、舞台の「上に」上げることであり、観客の「前に」据えることであるから、「上演」という意味になる。 Aufführungの方が「上演」を主要な語義としているのに対して、Vorstellungには一定の意味の広がりがある。人の前に他の人を据えるなら「紹介」であるし、自分の目の前に、あるいは頭の中に イメージを据えるなら「表象」となる。理性的に把握された場合には「概念」となるはずのものであっても、それが単なるイメージとして漠然と想像されるなら、それは「表象」である(註6)

 芸術とはもともと概念把握されるべきものではなくて、表象として受容されるべきものであるのだから、Vorstellungは芸術の特性を言い当てている言葉だといってよい。劇詩をもって最高の 芸術形式と考えるヘーゲルからすると、芸術の本質部分が表象と不可分な関係にあるということと、劇詩が上演されるべきものであるということとは、Vorstellungという語を媒介として密接に絡 み合っていたものと考えられる。もちろん、詳細な用語分析は必要であろう。さらに、ヘーゲルの美学講義の残されたテキストはホトーによる改竄といってもよい代物と、学生の書き残したいく つかの筆記録によってしか伝えられていないということを考えると、単に資料に残された単語だけを考察しても不充分でもあろう。この点の解明は今後の課題として残されているといってよい。 しかし、オペラの観劇記録の記述からしても、表象と上演の関係は想定できよう。

7. 上演されるのは舞台芸術だけか?

 さて、作品の完結/完成をめぐるこうした事情は、3節の末尾でも述べたように、たしかに舞台芸術には確実についてまわる。しかし、これは舞台芸術のみの特性だろうか? 『美学講義』の 配列からすると、ロマン的芸術は絵画、音楽、詩の順で展開される。そして、この詩が叙事詩、抒情詩、劇詩の順で展開されることになる。現代的常識で言えば、このうち、「上演」がどうして も必要なのは音楽であり、劇詩である。では同じ文学表現であるが叙事詩と抒情詩はどうであろうか?

 真っ先に気づくのは、叙事詩は既に死滅した芸術形式であるということである。叙事的な作品は近年まで作られ続けてきたとはいえ、叙事詩が文学の主要形式であったのは、英雄時代の伝承 が口承で語られた大昔であった。しかもこれは語られたものである。文字がそもそも存在しないか、存在してもほとんどの人がそれを読めなかった時代には、文学はすべからく口承で伝えられ、 人々の前で歌われ、朗読されたものであったはずだ。であるなら、叙事詩はまさしく「上演」されなくてはならないジャンルであるはずだ。ことは抒情詩も同様であろう。文学、特に詩は、ジャ ンルを問わず「上演」されるものであったのだ。「上演」とまで行かなくても、少なくとも音読されたものであったはずである。それでは、散文の場合であれば「上演」とは無縁なのだろうか?

 その前に、戯曲の流通形態を考えてみよう。劇詩が「上演」されないとしたら、それはどうやって享受されるのか? 現代に話しを移して考えてみよう。TVドラマの台本は放送されない場 合はどうやって流通するのか? 実に流通しないのである。劇場で上演されている芝居も同様だ。評判になった作品だからといって、台本が販売されるということはない。現在、書店で書物と して購入可能なのはすべて古典となった戯曲だけである。『仮名手本忠臣蔵』の台本は古典文学として入手可能である。シェイクスピアの『リア王』も『ジュリアス・シーザー』も入手可能で ある。これらは古典だから、上演されなくても読まれるのである。古典以外の劇作品は、読むための戯曲として出版されることはほとんどない。上演中のオペラ台本がリブレットとして入手可能 なのは、第一には、現在上演されるオペラの大半は新作ではなくて古典だから、第二には、多くは外国語だからである。

 ところで、200年前はどうだったのだろうか。同じヴィーンへの旅行の顛末を記したヘーゲルの書簡中に、途中ドレスデンに立ち寄ったときの記録が含まれている。それによると、1824年 9月9日(木曜)の晩、旅の途上でドレスデンに立ち寄っていたヘーゲルは、ティークの邸を訪問している。シェイクスピア作品のドイツ語訳で名を馳せたロマン派の大作家のルードヴィヒ・テ ィーク(TIECK, Ludwig)の屋敷である。日本では『長靴を履いた猫』の作者といえばわかりやすいだろうか。この晩、ティーク邸では、フィンケンシュタイン伯爵夫人同席のもと、北欧の詩人 ホルベルクの喜劇の朗読会が行なわれていた。翌早朝にプラハへ向けて旅立つヘーゲルは、朗読会を中座して、旅支度をしに宿へ戻っている。

 しかし、問題はその晩のヘーゲルの行動ではない。喜劇の「朗読会」である! 劇場の舞台の上でではないけれども、これは一種の「上演」ではないのか?! おそらく、翻訳され、出版 されたテキストがあったのだろう。だが、それは黙読されるのではなくて、音読されているのである。

 宗教改革と時を同じくして南ドイツで発展したのが、グーテンベルクの活版印刷術であった。ルターのドイツ語訳聖書はこの最新技術によって瞬く間に全ドイツに広まり、誰もが読める 聖書を精神的支柱として、宗教改革が進行していったのだった。だが、その当時のドイツ民衆の識字率はどれくらいだったのだろうか? これが驚くほど低いのである。おそらくは2割程度で はないだろうか。産業革命と市民革命が初等教育の必要性を生み出し、その結果、国家が公教育として初等教育の充実を図り始めるのであるが、それは19世紀に入ってからのことである。識字 率はこの結果飛躍的に高まる。出版が産業として成り立つ条件は、識字率の高まりであるからして、小説の類が娯楽として広まるのもこの頃である。近代化以前に識字率が男女を問わず50%を 越えていたのは、世界中探しても江戸時代の日本くらいのものである。

 では、大半の庶民が字を読めないのに、どうしてルター訳聖書が広まったのだろうか。実のところ、聖書は音読されたのである。聖書の音読を、信者が集まって拝聴したのである。聖書は 「上演」されたのだ。

 ことは18世紀末のフランス革命期でも同様であった。なぜ、喫茶店が革命諸党派の拠点となったのか? そこには新聞が備えられていたからである。この時代でもフランスの識字率はやは り2割程度であったはずだ。だから、喫茶店に集まる大衆の大半は字を読めない。そこで、字の読める者が新聞を音読するのである。政府批判の記事、王の腐敗を追及する記事……これらが音読 される。つまり、「上演」されるのである。冷静に聴く者は少ないだろう。何しろ、「上演」されているのだから。朗読を聴きながらそのままデモ行進へ、ということもありえただろう。

 一般に、書物を黙読する習慣は19世紀の半ばに鉄道旅行が一般化することで始まったとされる。イギリスの列車の狭いコンパートメントの中で、誰かが本を音読したなら、それは迷惑千万 であったことであろう。汽車に乗っている数時間の無聊を慰めるためにと、三文小説が駅のキオスクで販売される。これを乗客はそれぞれ黙読したのである。

 しかし、これはヘーゲルが死んだ後の話である。ということは、ヘーゲル在世中はおそらく、ヘーゲルが『美学講義』でとりあげたすべての文学のジャンルはどれもみな「音読」されてい たはずである。つまり、文学はすべて「上演」されるものだったのである。であるとすれば、作家が筆を置いたところで作品が完成したのだ、とはとても言えないということになる。

8. ヘーゲル美学の19世紀的制約

 ヘーゲルはおそらく、文学を「上演されるべきもの」と考えていたのであろう。少なくとも、叙事詩も抒情詩も劇詩も、最悪でも朗読会で音読されるべきもので、黙読されることは想定して いなかったのではあるまいか。では、小説はどうなのか。ヘーゲルの『美学講義』に「小説」の項は存在しない。考えてみれば当然のことで、当時、特にドイツでは、小説はまだ書かれ始めたば かりであった。ゲーテは確かに小説らしきものを書いている。しかし、今の「小説」とはずいぶんとかけ離れたものである。ほかには、前述したティークやE.T.A.ホフマン、ヘルダーリーン、ジ ャン・パウル等の名前が挙げられるが、しかし、小説というジャンルが文学の主要な部分を占めるようになるのは、ヘーゲルの死後である。

 興味深いのは、小説が隆興を極めるのが、音読の習慣が消滅した後の時代だということである。このことは、「上演」との関係ではどう考えたらよいのだろうか?

 ヘーゲルの死後、世に現れたジャンルもたくさんある。写真や映画はその最たるものである。彼の生前からあったにしても、この後に大きな変貌をとげたものもある。絵画の変貌はとりわけ 著しい。ヘーゲルには、キュビズムや野獣派はおろか、アール・ヌヴォーや表現主義、印象派さえ、想像を絶した作品群であるはずだ。ことは音楽でも同様で、ヘーゲルが現代音楽の袋小路と見 なした純粋器楽曲、特にベートーヴェンの交響曲に代表される構築的な音楽こそ、19世紀のヨーロッパ音楽を代表するものとなる。ヘーゲル存命の時期にはまだ存在していたけれども、その後失 われてしまったジャンルもある。後に初期の写真術の開拓者となるダゲールや、ヘーゲルも観劇したであろう1816年のベルリンでの『魔笛』上演に際して舞台装置を担当したシンケルらがたずさ わっていた、「パノラマ」とか「ディオラマ」と呼ばれた大掛かりな興行があった(註7)

 こうした様々なジャンルについて、もちろんヘーゲルの言及があるわけがない。しかし、おそらくは文学を「上演されるべきもの」と捉えていたであろうヘーゲルが、これらの新ジャンルを 体験したと仮定したなら、はたして、どのような論述をするであろうか。この問題はけして机上の空論、無意味な夢想であるわけではない。それは、残された『美学講義』や「美学」の講義録か ら類推される基本的な論理構造が、はたして同時代ないしは後世の作品に通用するほど本質的なものであったのかどうかを試す、試金石である。

 おそらくは、「上演」の概念の展開の当然の帰結として、演劇の正統な後継として映画が位置づけられることになるだろう。そしてまた、「上演」ということを経由しないで享受される小説 というジャンルについて、さらに深い考察が展開されることになるであろう。しかし、「上演」が作品自体を変容させ、上演する者をも変容させ、さらには観客をも変容させていくものであるこ と、そして、上演以前の普遍と個別の関係、主客関係が、上演によってことごとく逆転させられ、依然とは別の時空間が生まれ出るということこそが、ヘーゲルの美学理論の当然の帰結であろう ことには変わりあるまい。

 現代的な問題を一点だけ付け加えるなら、小説に代表されるような、「上演」を必要としない芸術形式が増殖し続けていることである。ベンヤミンが「複製芸術」を問題にしたのは20世紀初 頭のことであった。今や複製がデジタル化され、ネットで配信されている。本物のもつアウラというのもが複製にはない、とベンヤミンは説くが、21世紀初頭にあっては、本物がそもそも消滅し てしまっているのである。たとえば録音された音楽でいうなら、ベンヤミンが問題にしたのは生演奏とレコード録音の違いであったろう。しかし、1960年代末にビートルズがステージを辞めてス タジオに篭り、複数トラックの合成によって実演不可能な音楽を作り始め、グールドがやはりステージを降りてスタジオでただ一人ピアノと共にバッハに向き合い始めてこの方、舞台上での「上 演」が存在しないままの複製のみが市場に出回る、という事態が進行している。音源のデジタル化とネット配信はこの延長上にある(註8)

 しかし、その一方で、録音された音楽データを商品として販売しながら、同時にステージ・パフォーマンスにも力を入れるミュージシャンも多数存在する。ライブ・ハウスは今日もまた、満 員である。中には、上演形態や表現手段を変えることで、同じ作品に多様な意味を埋め込もうとする椎名林檎のようなアヴァン・ギャルドもいる(註9)。デジタル時代に入ってなお、いや、それだか らこそでもあろうが、「上演」の豊かな生産性は生き続けているといってよい。「上演」という手段が芸術表現の主要な技法であることには、変わりはないだろう。

9. 上演と教養

 最後に、教養をめぐって展開されたこの共同研究との関係で、「上演」について整理しておきたい。

 「上演」を以上の議論を踏まえてもっとも広く定義しておくなら、それは、《テキストであるとか、場であるとかいった、何か共通のものに依拠しながら、それまでの自分を自分でないも のに、それまで自分でなかったものを自分のものにする、共同作業。その際、最初に依拠するよりどころとなったものが、上演の最後まで同じであり続けるかどうかは、上演の展開如何によ る。普遍的なものが個別的なものに、個別的なものが普遍的なものに、あるいは、普遍的なものが別の普遍的なものに、既存の力関係が別の関係に……等々といった具合に解体され、変質さ れ、転換されるような、共同作業》ということになる。私は「上演」によって死んで、生まれ変わるのである。あるいは、「私たち」が生み出され、組み替えられ、交替するのである。

 2年間にわたる共同研究で、学生をも巻き込んで、2度のワークショップを展開し、この過程で様々な共同作業がおこなわれ、学生もわれわれ教員も、ともに大きく変貌をとげることができ た。その意味で、共同研究は長期にわたる知の「上演」であったといえる。自己形成という意味では、古典的な教養の概念で説明できなくはない。しかし、それは、到達すべき人間の理想とし ての「教養」を目指すものではありえないだろう。そうした「理想」の有効性そのものが、現在となってはかなり怪しいからでもあるし、そうした普遍性を提示することで、普遍性を共有でき ない人々を排除することにもなるだろうからである。旧来の「教養」を解体し、克服し、新しい教養概念を樹立する必要があるとすれば、それには共同作業としての「上演」が大きな役割をは たしうるのではないだろうか。

 ここまでくると、「上演」は、人が未知なるものと出会うその都度その都度の体験を凝縮させたパフォーマンスと言ってもよいだろう。これを美学の観点から理論化することは、人が他者 と共同作業をする過程を理論化することと同じ意味を持ってくる。とはいえ、このためには、思いつくままに列挙した本論文の多様な論点について、緻密な実証的研究をする必要がある。今回 の最終報告論文は、そのためのラフ・スケッチである。


サイト内リンク

2014年度~2018年度 科学研究費 基盤研究(B)課題番号:26284020 ヘーゲル美学講義に結実した芸術体験の実証的研究

2020年度~2023年度 科学研究費 基盤研究(B)課題番号:20H01204 ヘーゲル美学講義における絵画論の芸術哲学的な意義とボアスレ・コレクション

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ISHIKAWA, Iori. Emeritierter Professor an der Universität der NIIGATA Provinz
新潟県立大学名誉教授 石川伊織
E-mail: gnosis56 arrow.ocn.ne.jp


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最終更新日:2024/8/31