Philosophische Forschungen
von ISHIKAWA, Iori
石川伊織 哲学研究

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ヘーゲルの『美学講義(1820/21)』における人相学と頭蓋論をめぐる諸問題
Über die Probleme der Physiognomik und Schädellehre
in den Vorlesungen über die Ästhetik Hegels (1820/21)

『国際地域研究論集』第7号(国際地域研究学会 2016年3月30日)所収論文の増補改訂版


1. はじめに

 『精神現象学』「観察する理性」の章(註1)で、ヘーゲルは、ラーファーターの人相学(註2)とガルの頭蓋論(註3)とを槍玉に挙げ、徹底的に批判する。

 観察する理性は「有機体」を観察しようとしている。有機体とは生命であり、生きている個体ないしは個人である。だが、個体は「意識の運動であるということと、現象する現実態の固定した存在であるということ」(PhG.243f.=GW09.172)とに二重化している。「私」という個体は自己意識の運動でありつつ、同時に身体という固定した存在でもある。いわば、身体は個体の「表現」であって、「記号」である(PhG.244=GW09.172)。人相学も頭蓋論も、表現され、外に現れ出た何かに着目し、これを、内面を類推するための手がかりである「記号」とみなし、そこから遡って、これらを表現している当の働きである自己意識を把握しようとする「学問」である。人相学にとっての手がかりは表情であり、頭蓋論にとってのそれは頭骨の形状である(註4)

 人相学は、ある特定の表情を自己意識の特定の運動と関係づける。顰めっ面をしていれば、怒っている等々。しかし、苦痛をこらえているから顰めっ面をしているのかもしれない。顰めっ面と怒りの間には必然性がない。これを「法則」であるというなら、こうした法則は「思い付き(=Meynen)」(PhG.256= GW09.178)に過ぎない。「歳の市が来るといつも雨が降る、と露天商が言い、洗濯物を干すといつも雨が降る、と主婦が言う」(ebenda)のと大差のない思い付きである。

 一方、頭蓋論は、詩作や殺人や窃盗を頭蓋骨の特定の形状、隆起や陥没に結び付けて説明する。しかし、これもまた恣意的である。頭蓋骨のどんな窪みや隆起も殺人と結び付けうるだろうし、「殺人者が一つの隆起と一つの窪みしか持っていないわけでもない」(PhG.272=GW09.186)からである。「ある人間にむかって、『お前は(お前の内的なものは)こうしたものだ。なぜなら、お前の骨がそうした性状をしているからだ』と言ったとすれば、これは、私が骨をお前の現実態とみなす、ということにほかならない」(PhG.277=GW.188)。すなわち、「精神の存在は骨である」(PhG.282=GW09.190)となる。

 人相学者の横っ面は張り飛ばすべし、頭蓋論者の脳天はかち割るべし(PhG.277=GW09.188)、とまでヘーゲルは非難するが、見えざる内なる本質は外面に現象するというこの思想は実にしぶとい。ガルは失意のうちに世を去ったにもかかわらず、彼の死去から半世紀以上も後の中江兆民までもがガルに言及している(註5)。クレッチマー(註6)を経て当節のいわゆる脳科学に至るまで、外に現象したあれこれから内面の本質を考察する似非「学問」には事欠かない。しかも、問題なのは、こうした発想は容易に、身体等の外形から個人あるいは特定の人間集団の内面の優劣を論じるという差別的な議論へと拡大する点である。

 しかし、こうした試みは必然的に失敗する。そもそも、理性(=カント的理性)が自己意識の運動の結果としての現象の側から自己意識の運動そのものに迫ろうとするのは、自己意識の運動を直接捉えることが理性にはできなかったからだ。理性は現象界にのみかかわるのであって、その背後にあるはずの叡智界は要請されるしかない。同様に、理性が観察できるのは現象界に現れ出た自己意識の記号だけであり、表現された自己意識だけであって、自己意識それ自体は要請されるにとどまる。「内なるものの外への表現」という思考枠組み自体が、カント的な理性の限界を示している。それだからこそ、『精神現象学』においては、理性は観察から行為へと、自己運動による自己実現へと向かわざるを得なかったのである。

 だが、そもそもの考察対象が、表現されたものの感性的な認識である美学においては、この問題はどのような展開を見るのであろうか? 本稿は、1820/21年の冬学期にベルリン大学で行われたヘーゲルの美学講義の学生による筆記録をもとに、ヘーゲルがこの問題とどのように取り組んだかを考察する。『精神現象学』におけるラーファーターとガルに代わって美学講義で問題となるのは、ヴィンケルマンであり、カンパーである。

2 1820/21年の美学講義

2-1 講義録について

 ヘーゲルは、生涯に5回、美学を講義した。第一回は1818年夏学期にハイデルベルク大学で、それ以後はすべてベルリン大学で、1820/21年冬学期、1823年夏学期、1826年夏学期、1828/29年冬学期に開講された。これらの講義のためのヘーゲル自筆のノート類はすべて散逸してしまっている。残されているのは、講義に出席した学生による筆記録のみで、現在、刊本で読むことができるのは、1820/21年、1823年、1826年の講義録、計4点である(註7)

 読むことが可能なこれらの講義録からでも直ちにわかるのは、ヘーゲルの死後直ちに編集の始まった旧全集版、およびグロナー版全集に収められたいわゆる『美学講義』が、編者であるホトーの改竄に近い代物である、ということである。しかも、ホトーはその第二版まで出している(註8)。現在流通しているホトー版の『美学講義』はこの第二版に基づく。

 ホトーは、初版への序文で(註9)、(1) 1818年の講義草稿は、1820年10月には全面的に改稿され、(2) これ以後の講義は改稿されたこの草稿に基づいて行われ、(3) 後の講義での追加は草稿の余白にびっしりと書きこまれるとともに、(4) 重大な変更は別紙に書かれてこの草稿の間に挟み込まれた、としている。とはいえ、これらの草稿はすべて散逸している。にもかかわらず、ホトー版における三部構成は、1826年に至るまでは確実に二部構成であったことが分かる。1820/21年講義録は、その痕跡を伝える現存する最古の資料ということになるのである。

2-2 自然美の除外

 構成を見るための便宜に、ホトー第二版に基づくSuhrkamp社版著作集第13巻-15巻と1820/21年講義録との対照表を巻末に掲載しておく。

 まず、「序論」において、美学の対象が芸術美であって、自然美は排除されることが宣言される(Äst. 21)。自然美の排除はヘーゲル美学の特質をなす。そのうえで、美学の主観的関心と客観的関心とが説かれる。

 主観的関心には二つあり、一つは作品を制作する者に方法や規則を教えるもの(Äst.21f.)、もう一つは、作品を観る側の趣味の陶冶にかかわるもの(Äst.22)である。18世紀の美学が目指したのは後者であった。ヘーゲルもまた、主観的関心に関しては後者の方を美学の課題とする。にもかかわらず、18世紀の美学が対象の一つに数えていた自然美を、ヘーゲルは排除する。

 その理由は、第一部「一般部門」の第一章「芸術の一般部門」で詳論される。自然、とりわけ生物はなるほど美しいが、個体としての生物には寿命がある。生物の美はこれを超えることができない。美ではあっても、この美は制限されたものである。「生物の普遍性とは、普遍的な活動なのではなく、普遍性が生物において反復として存在しているに過ぎない。個別的なものは永続せず、死へと移行する。個別的なものは、それだけで独立して普遍的な類と対立しており、自分の属している類の威力である自然に対抗して踏ん張ることができない。だから個別的なものは一時的なのである」(Äst.66f.)。美は有限性と死を超えるものでなくてはならない。それを可能にするのは、自然ではなく精神である。したがって、美学の対象は自然美ではなく、精神が産出する美、すなわち芸術作品でなくてはならない。

 ここからは直ちに、芸術は自然の模倣ではない、という思想が出てくる(註10)。「芸術の本質は自然の模倣であるが、これによって語られているのは、全くの形式的な関心でしかない」(Äst.23)。芸術によって、人間の胸中に去来するあらゆる情感が惹起され、また、自らの胸の奥深くにある心情を意識させられもしようが、芸術がこれをもたらすのは「自然の模倣によって、すなわち欺瞞によってである」(ebenda)。美学の客観的関心に議論を戻せば、自然の模倣は、この関心が問題とする観点ではない。では、芸術の究極目的とは何か?

2-3 芸術の究極目的

 ヘーゲルは言う。「美は真なるものと内的に関連している」(Äst.28)。ところで、「真なるものはすべてを包括する理念を、言い換えれば神的なものの定義を含んでいる」(Äst.29)。これが「真なるもの」の概念の側面である。しかるに、「真なるものは神的なものそのものである」(Äst.30)。こちらは「真なるもの」の実在(Realität)の側面である。哲学的に言うのなら、「真なるものとは概念と実在との統一である」(Äst.29)。精神は、神的なもののこの両側面の統一を知らなくてはならない。これを知るための三つの形態が、芸術・宗教・哲学である(Äst.33)。

 これら三者の違いをヘーゲルは次のように説明する。「芸術は神的なもの、真なるものを、感性的直観に対しても表象に対しても、したがって、いずれの場合でも無媒介な表象の形で描写する(zur Darstellung bringen)。宗教は芸術とは異なって、主観的側面をなす。宗教の目的は、神的なものを対象化して聞き知る(kennen)のみならず、感情が神的なものを感じ(empfinden)、神的なものを内面で知り(in sich weiß)、感情の本質それ自体が神的なものだと認識する(erkennen)ことである」(ebenda)。宗教は思考や表象や思想で我々を導く。これが「主観的側面」と呼ばれていることの内実である。これに反して芸術が「客観的」であるのは、芸術が画像(Bildern)を以てするからである(ebenda)。哲学もまた、「真なるものを認識する」という規定をもつ。しかし、「哲学は、芸術と宗教という、真なるものが表現される二つの形式を純化する。哲学は真なるものを対象とし、真なるものを我々の内側から生み出すのであるが、それは我々のうちにすでに真なるものが存在するからである」(Äst.34)。「哲学の境位は思惟であるから、その対象は思惟されたものである。思惟されたものでありながら思惟するものであるというこの境位こそが、一面では主観的でありながら他面では客観的であるような自我そのものである」(Äst.34f.)。

 同じことは、「第一部第一篇 芸術の一般部門」では次のように説明される。「古来、あらゆる哲学は、真なるものを認識し、概念把握してきた。真なるものが認識可能であることは、理性の根源的な信念である。……(中略)……学問を扱う際、我々は、すべてのこと、とりわけ真なるものが概念把握可能であり、真なるものは概念把握によってのみ真であることを前提としなくてはならない。ところで、美は、周知のように、真なるものの表現である。したがって美は概念把握できるものでなければならない。もちろん美の領域は概念の領域とはまったく異なるものに相違ない。それは、美の形式が感性的なものであり、概念の形式は精神的なもの、思想だからである」(Äst.47)。すなわち、美とは概念把握可能な、真なるものの感性的な表現である。美学は、これを単に感性的に享受するのではなく、哲学的に概念把握するのである。

2-4 芸術の三分類

 ヘーゲル美学の特徴のもう一つは、芸術を象徴的、古典的、ロマン的の三つに分類する点である。

 象徴とは、「自立的な外的な形態をしておりながら、それの持つ意味によって理解されるようなもの」(Äst.110)である。例えば、ライオンが「強さ」を象徴している、といった場合がそれである。しかし、「強さ」を象徴しているのはなにもライオンばかりではない。鷲もまた「強さ」を象徴しうる。象徴には一義性がないのである。象徴的芸術とは、神的なものを、それを象徴する何らかの外形でもって示そうとする。象徴的芸術は「芸術の第一段階であり、形態を求める努力である」(Äst.40)。だが、一義性を欠いた象徴は、神的なものを表すには不十分である。こうした芸術はエジプトに代表されるオリエントの芸術であり、ジャンルとしては建築である。

 これに対して、古典的芸術は、神的なものを人の姿で表そうとする。ここでは実在性と概念とが相互に浸透しあっている。「この自己意識的な概念にとっては一なる実在性のみが真の実在性であって、この一なる実在性こそが魂に適合的な形成であり、すなわち人間の身体である」(Äst.41)。ギリシア・ローマの彫刻作品が、その代表例となる。そこには絶対的な調和がある。しかし、調和があるがゆえに、神的なものは素材である石材や木材のうちで静止してしまう。抽象度を高めてこれを克服するのが、最後のロマン的芸術である。

 ロマン的芸術は神的なものの生命を生き生きと表現しようとする。そこからは物質的な静止は排除される。石や木という素材を捨てて、形と色のみで二次元平面上に描かれる絵画が、さらには形や色といった具体性さえ捨て去って、単なる音の調和を以て表現する音楽が、最後には言葉という記号のみからなる「語りの芸術」が登場することになる。

 しかし、ロマン的芸術は古典的芸術の調和を超脱している。この調和は、神的なものの概念と実在との合一でもあった。しかし、その限りで、神的なものは人間という個体とは別ものである。「感情の本質それ自体が神的なものだと認識する」には至っていない。ロマン的芸術は、古典的芸術の調和を廃棄し、対立を再発見し、真なるものの概念を完成させるのである。

3 彫刻論

 こうした前提を踏まえたうえで、再度、「内なるものの外への表現」という思想が美学の文脈でどのように扱われているかを考察してみよう。考察の舞台は古典的芸術であり、とりわけその典型としての彫刻論である。

 「第二部第一篇 造形芸術」の第二章「彫刻」の冒頭では次のように説かれる。象徴的芸術であるエジプトの建築は神的なものを囲う覆いであって、神的なものを指し示してはいるけれども、神的なものそのものではなかった。この神的なもの、すなわち精神的なものは、「今や形態をとって自分自身に対して登場してくる。……(中略)……この形態は必然的に人間の形をしている。自分自身に対してある精神性が、彫刻の目的である」(Äst.208)。しかし、彫刻の中で表現されていたのは、感受する個体性ではなくて抽象的な個体性、つまりは客観的な精神であった。「彫刻はもはや、精神性を表現するはずの象徴的なものを具えてはいない。しかしまた、感受する主観性をその目的としているわけでもない。それは自らの内に集中している主観性ではなく、分散してしまっている主観性なのである。それゆえ、彫刻は精神を表現するのに、そこから性格が読み取れるような一連の行為として表現するのではなく、むしろ、精神を静止した形態で表現するのである」(Äst.209)(註11)

 こうした次第であるから、問題となるのは外面的形状が精神をどう表現しているか、ということになる。「古典的なものについての果てしのない理論的な議論で重要なのは、生き生きとした造形の性状と、人体という有機体の性状とが解明され、説明されることであり、さらに進んで、精神的なものとその表現との関係が展開されることである。だから、一種の人相学が古典的なものと結びつけられなくてはならないとされるのである。しかし、こうした学問は、形成された精神の自由がそれ自身で自立している(für sich sein)ということと対立する。精神の自由はあらゆる人相学を辱めるのである。人相学は触覚という何か無規定なものにかかわるだけであるが、人間に関して真に客観的なものとは、人間の行為である」(Äst.215)。彫刻において人相学が重視されてきたのは、まさしく彫刻が精神の自由を表現しえないからだ、というのである。

 では、古典的彫刻における「人相学」はどのように記述されているであろうか? ここではまず、ヘーゲルの彫刻論がヴィンケルマンの『古代芸術史(Geschichte der Kunst des Alterthums. 1764)』を祖述していることを指摘し、次に、古典彫刻に関してカンパーの議論がどのように扱われているのかを見ておこう。

3-1 Johann Joachim Winckelmann

 まず、ヴィンケルマンの『古代芸術史』の目次を、ハインリヒ・マイヤーとヨハン・シュルツェの編集になる全集版(うち、『古代芸術史』は第三巻から第六巻第二分冊まで)(註12)に拠って示しておこう。

【ヴィンケルマン『古代芸術史』目次】

第一巻

第一章 芸術の起源について
第二章 エジプト等の芸術について
第三章 エトルリア等の芸術について
 この巻への註

第二巻

第四章 ギリシア人の下における芸術について
第五章 (承前)
 この巻への註

第三巻

第六章 ギリシアの彫像における着衣について
第七章 ギリシア芸術の技術的な部分について
第八章 ギリシア芸術の発展と衰退について(ローマの芸術についてはこの第四節で言及される)
 この巻への註

第四巻第一分冊

第九章 ギリシア人の下における時代の外的な状況から考察した、古代芸術史
第十章 (承前)
第十一章 ローマ人の下でのギリシア芸術について
第十二章 (承前)

第四巻第二分冊

第九章以下(第四巻第二分冊)への註

 ヘーゲル自身が、彫刻についての議論はヴィンケルマンに準拠すると書いている通り(Äst.215)、『古代芸術史』の目次をなぞる形で、議論は進んでいく。まず、エトルリアとエジプトの芸術について述べられ(Äst.210ff.)、続いてエジプトの彫刻について集中的に論じられる(Äst.215ff.)。そして、本題のギリシアの彫刻が論じられる(Äst.218ff.)。ギリシアの彫刻の細部が語られるが、とりわけ神像のまとう着衣について、ないしは裸体像について論じられる(Äst.221ff.)。

 問題は、ヴィンケルマンへの言及の仕方である。講義録中には、ヘーゲルの言葉と思しき文章の途中に、「ヴィンケルマンも言うように(wie Winkelmann gesagt)」(註13)とか、「とヴィンケルマンは言っている(so sagt Winkelmann)」といった挿入があるが、この前後の文は、ある場合には直説法で書かれ、ある場合には接続法一式で書かれている。後者の場合には間接話法であることははっきりしている。しかし、前者の場合、どこからどこまでヴィンケルマンからの引用であるのか、どこから先がヘーゲルによるパラフレーズなのかが判然としない。少なくとも、筆記した学生にとっては、師ヘーゲルの口調が批判的であったとは聞こえていなかったのだ、とは推測できる。事実、ヘーゲルの語り口は実に淡々としている。ヴィンケルマンに倣いつつ、淡々とギリシア彫刻の特徴を述べていく。だが、論述の後半は、ギリシア彫刻の問題点の列挙となっている。ヴィンケルマンに倣いつつ、しかし、問題点が列挙されるのである。

 ギリシア彫刻は神的なものを表している。しかし、ギリシアの宗教はキリスト教のような一神教ではない。それゆえ、様々に異なった神的なものが、様々に異なった外観の下に示されなくてはならない。なぜなら、それがいかなる神性をもった像であるかは外観によってしか判別しえないからだ。ところが、外観は、女神か男神か、若いか老いているかといったことしか示しえない。しかも、準拠する神話の場面ごとに、神々は様々に姿を変えて登場する。そしてまた、レッシングも指摘する通り、彫像は物語の一瞬を切り取った静止した姿でしか示しえないのである。こうして、その像がどの神を示しているのかわからなくなる、という事態が出来する。

 「個体性という理念態は、一つの個体性が往々にして他の個体性に移行してしまうという問題を伴っている。それゆえ、たとえばマルスは静止した姿ではバッコスにもアポローンにも、とりわけテセウスやペルセウス等々にきわめてよく似てしまう。そもそもこの故にしばしば取り違えられることになるのである。また、女性と男性が取り違えられることもしばしば起こりうる。それゆえ、たとえば、ヒルト(註14)がアリアドネの頭部であると主張するある頭部のことを、バッカスの頭部であると主張する者もいるのである」(Äst.227f.)

 あるいは、神々をその属性で示すために、眷属を添えるといったこともなされた。「こうした添え物に含まれるものとしては、さらに、エジプト的=象徴的なものに由来するもの、すなわち神々に比定された動物がある。たとえばユピテルは鷲を眷属とし、ミネルヴァはフクロウを眷属としているといった具合である。エジプト人たちは通常、これらを[神々]そのものとして崇拝したのである」(Äst.225)。

 眷属を神々そのものとして崇拝することまではしないとしても、象徴的芸術において指摘された点、すなわち、象徴は一義性を欠くがゆえに神的なものを表すには不十分であるという事態が、彫刻においても出来することになる。「ここにはしばしば、ギリシアの神々の理念態が、規定された特殊化に対立して登場する。そしてまた、単なる外面性によってしか[神々を]区別しえない、ということもしばしばである。こうした場合、理念態のゆえに諸形態が似通っているように見えるのであるが、この場合は、諸属性にだけ排他的に依拠するわけにはいかない。なぜなら、諸属性も複数の神々で共通だからである。それゆえ、たとえば、秤皿はゼウスの持ち物とも、ヒュギエアの持ち物とも、アスクレピオスの持ち物ともされるし、ユピテルは雷を発するとされるが、パラスもまたしばしば雷を発するのである」(Äst. 225f.)。

 これらの問題点の指摘は、ヴィンケルマンに倣ったものでもある。ギリシア彫刻を最高の芸術作品として賞賛するか否かは別として、さらには、ギリシア彫刻を近代においても模倣すべき規範とみなすかどうかは別として、少なくともギリシア彫刻がいかなる性質のものであるかの認識に関しては、ヘーゲルはヴィンケルマンと同じ地点に立っている。そうであるからこそ、古典的芸術はロマン的芸術に移行せざるを得ないとするヘーゲルの指摘が重要となる。すでに述べたように、ヘーゲルは、こうしたありかたの全体を、彫刻の章の冒頭で「人相学」として厳しく批判しているからである。彫刻はその本質からして人相学的にならざるを得ない宿命を持っているのであった。

3-2 Peter Camper

 ヴィンケルマン以上に明確に、人相学的・頭蓋論的な議論を展開したとしてヘーゲルが引用しているのは、解剖学者のカンパーである(註15)。カンパーは1722年にライデンで生まれたオランダの解剖学者で、フローニンヘン大学総長まで務めた人物であるが、1770年と1774年にアムステルダム・ドローイング・アカデミーで教鞭をとってもいた。その著作の完成稿は死後に息子の手によって上梓され、1792年に独訳されている。ヘーゲルは、彫刻論の第二節「古典的彫刻」の冒頭でカンパー説に言及している。

 ヘーゲルは、カンパー説を次のように要約する。長文になるが引用しておこう。「古典的な諸形態と出会う際の第一のものは、いわゆるギリシア的横顔というもので、これは鼻が額に連なる部分にほとんど角度が付けられず、ほぼ垂直の線をなして下がってくる、というものである。カンパーはこの線について、人間と動物の頭蓋骨を比較し、その観点から、この線が極めて重要であることを発見した。動物の場合、額と鼻は多かれ少なかれ直線をなすが、動物では、この線と耳と鼻を結んだ線との作る角度によって、口の出っ張りが規定される。動物では、とりわけ食らいつくこと、およびその欲求が突出している。まずは、においを嗅ぐための器官がこれと結び付くに違いない。したがって、そのための器官である鼻が突出するに違いない。人間では、二つの点が目立っている。第一は口である。鼻は口に帰属する。口は動物同様に直接的な欲求を示している。しかし、人間の形成におけるもう一つの重要な点は、額に奉仕するあらゆる器官を具えた、精神的な中心点をなす目である。口は極めて実在的な過程の器官である。鼻はこういった実在的な過程ではない。むしろ、臭いを嗅ぐという抽象的な過程である。目は鼻よりも上位にある理論的な感覚である。魂は目に現れる。この器官、この感覚によって、額の思索はすでに現前している。ここでは、反省はその外的な表現を持っているはずである。したがって、人間の頭蓋の場合、この器官が一つの主要な点を形成しているはずである」(Äst.218)。

 わかりにくい表現なので、ヘーゲルの言わんとするところを整理すると次のようになるだろう。

 (1) ギリシア彫刻にみられる古典的な横顔では、額と鼻を結ぶ線がほぼ垂直である。

 この点はカンパーも同意するだろう。著作の意図が絵画や彫刻のためのデッサンの基礎となる解剖学的な知識をまとめるためであったことは、書名からも、また著者の前書きからもわかる(註16)

 (2) この点について、人間と動物の頭蓋骨を比較したのがカンパーだ。

 (3) 額と鼻を結ぶ線と、耳と鼻を結ぶ線の作る角度が、動物では鋭角である。

 カンパーでは、頭蓋骨を横から見て、鼻の最下部と耳道とを結ぶ線と(これを原書に添付の図版上の記号で線分NDと呼んでいる)、額の出っ張った部分と上下の歯がかみ合わさっている点を結ぶ線(こちらは同じ図版上の記号で線分GM)との作る角度を顔面角と呼ぶ(註17)。顔面角は類人猿と人類では違うし、人種によっても違う。オランウータン:58度、黒人の少年:70度、ヨーロッパ人:80度といった数値が示されるとともに、ローマの宝石細工師が95度で肖像を制作していたこと、100度を超えるとかえって醜くなることを指摘する(註18)

 (4) これは、動物の場合は口や鼻といった生存に必要な器官が発達するための現象である。人間は頭蓋に重点が来るために額が前方に突出する。

 この主張はカンパーには見られない。カンパーは顔面の形状から精神のレベルを推し量ったりはしていない。持てる限りの頭蓋骨のサンプルを、淡々と計測し、数値化するのである。そこには、人種の優劣に関する議論はほとんど見られない。しかも、計測数値を示しているのは、この数値に従って制作すれば美しい作品が作れる、という意図ではない。むしろ、自然の模倣という思想に従って現実の頭蓋骨の正確な数値を芸術に持ち込もうとするデッサンの仕方に対して、美の理想というのは自然とは別のところにあるのだと示すことが本書の目的であった。それは、末尾の第四部が描画法の教科書となっていることからもわかる。

 カンパー自身は、ギリシア的な美の基準について次のように述べている。「今、美しい顔とは何かと問われれば、私は、顔面角が100度となる顔だ、と答えよう。古代のギリシア人たちもまたこの角度を選んだのである。とはいえ、彼らが私のようにまさにこの(顔面角の)原則に従って、各部の完全な均整を手に入れたかどうかについては、定かではない。だが、確かなのは、そうした頭部は決して見いだされないであろうということだ。古代ギリシア人たちがそうした頭部を持っていたとも考えられない。……(中略)……したがって、古代の美とは、自然の中に存在するものではなく、ヴィンケルマンによれば、理念的であるに過ぎない。従って、ギリシア人たちが硬貨にローマ皇帝の像を刻む時には、似せるように義務付けられていたにもかかわらず、常にこうした理念的な美をいささかなりとも加味したのであった」(註19)。カンパーにとっても、美とは自然の模倣とは別のところに根拠をもつものだった、ということである。

 確かに、頭蓋骨の計測は人相学や頭蓋論に直結する。ヘーゲルの要約するカンパーの学説が新手の人相学・頭蓋論となっているのも無理はない。しかし、「精神の存在は骨である」という結論に対して、こういうことを言い出す連中の「脳天をかち割ってやれ!」とまで批判するヘーゲルからすれば、「美の理念は別のところにある」とするカンパーは、ヴィンケルマンが評価される程度には評価されてもよいはずだ。先の引用にもある通り、ヘーゲルは、カンパーの議論の中に、動物に対する精神の優位性を読み込み、これを評価する。しかし、そのうでなお、だがやはり人相学の域を超えない、と批判するのである。

 カンパーの議論は、こののち、ヘーゲルが言うような動物に対する精神の優位性といった議論を超えて、「近代に書かれた差別的な人種主義の書」(註20)として読まれていくことになる。カンパーに対する毀誉褒貶の歴史をあらためてたどってみる必要があろう。

 以上、明らかになったのは、彫刻というものが本来的に人相学的な構造を持つものだというヘーゲルの立場である。それゆえに、どのような学説をどのように引用しようとも、学説に対する評価や批判は別として、論理の構造それ自体が、彫刻の限界を示すことになる。神的なものを人の姿で表すだけではなく、神的なものを主観としても表現するのは、次の段階であるロマン的芸術、とりわけ絵画である。

 とはいえ、本稿は彫刻の限界を人相学・頭蓋論に即して考察することを目的としていた。以下には、これに関連する限りで、絵画・音楽・詩について考察しておきたい。特に問題とすべきは、引用についてである。

4 Didertot, Goethe, Hegel

 「造形芸術」の第三章にあたる「絵画」では、ディドロの『絵画論』(註21)が引用されている。ところが、このテクストと引用の仕方とには興味深い点がある。以上に考察したヴィンケルマンやカンパーからの引用とは、引用の仕方がまるで異なるのである。

 ヴィンケルマンでは、どこからどこまでが引用なのかを判読することにそもそも困難があった。とりわけ、直説法で書かれた文中に、挿入句的に「ヴィンケルマンによれば」といった具合に触れられている場合がそうである。学生がどこまでヘーゲルの講義を正確に聞き取れていたのかという問題もある。直接話法なのか、間接話法なのか、耳で聞いただけの動詞の変化では、それすら判断できないかもしれない。

 ところが、ディドロの『絵画論』からの引用は、きわめて明白、出所も正確に確定できるのである。なぜなら、こちらの引用は、講義筆記でありながら、引用符でくくられて直接引用で書かれているからである。そして、引用符の中のテクストは、ゲーテが訳したディドロの『絵画論』の該当する文章とほぼ一致するのである(Äst.275)。ヘーゲルは、実際にゲーテ訳のテクストを示しながら講義したのではあるまいか。

 だが、ゲーテの訳書というのが、これまた多分に問題を孕んだテクストである。ディドロの『絵画論』は現行のテクストでは全八章からなる(註22)。しかし、ゲーテの訳した刊本は、ディドロの『絵画論』の最初の刊本であるビュイッソン版(1795)の第一章「デッサンに対するわたしの奇想」の翻訳と、ゲーテが再編集した第二章「色彩に関する愚考」の翻訳と註釈とから成り立っているからである。残りの六章分は翻訳されていない(註23)

 当該のテクストは、ディドロが色彩について述べている第二章の中の記述である。「他の身体の色はあらゆる色の混合であって、まったく艶がなく見える。ディドロは言う、『肉体の感触に到達した画家は、遠くまで到達している。その他の全ては些末なことだ』(註24)と。最高の技術は透過である。すなわち、下に塗られた色が上に塗り重ねた色を通して透けて見えるようにすることである」(Äst.275)。引用中の二重鍵括弧でくくった部分がゲーテの翻訳とほとんど一致しているのである。

 すでに見た通り、ヘーゲルの引用はかなり自由である。しかるに、この個所は、一字一句正確にとまでは言えなくとも、ほとんど正確である。講義録の他の個所には誤記や曖昧な表現が散見するから、この部分のみ、筆記者が原典に当たって正確を期した、とは考えにくい。それに、もしそうであるなら、もっと正確に書けたであろう。その点からも、これはヘーゲルが直接テクストを示したものと思われる。そして、この文脈では、ヘーゲルはディドロ=ゲーテの色彩に関する議論を肯定的に評価している。

 しかし、ゲーテが編集を加えずに訳した第一章のデッサン論は、実はヘーゲルが批判する「芸術は自然の模倣」とする説を開陳したものである。こちらを引用してディドロを批判しようと思えば、それもできたはずだが、ヘーゲルはそれをしていない。

 ここにはさらに検討すべき課題が潜んでいる。すなわち、(1) このような構成の「翻訳」を作ったゲーテの意図がどこにあったのか、(2) ゲーテ自身の『色彩論』(Zur Farbenlehre (1810))との関係はどうであるのか、(3) ヘーゲルは、ディドロ=ゲーテの色彩論に対してどのような立場をとるのか、等である。肯定的に引用しながら、実際にはゲーテの主張と異なる主張を展開している箇所は少なくない。それはヴィンケルマンの引用の仕方とも重なる。ディドロ=ゲーテ=ヘーゲルの相互の影響関係を研究することは、きわめて重要である。

5 終わりに

 創作のための手引きとしての理論ではない、鑑賞者のための美学としての18世紀的「美学」を、自然に対する精神の優位という立場から、さらに「芸術の哲学」へと転換させたのが、ヘーゲルであった。

 しかし、近年刊行されたアニク・ピエッチュの『色彩学』という書物では、創作美学(Produktions-Ästhetik) という概念が提起されている(註25)。ここでは、18世紀半ばから19世紀半ばにかけての、ベルリンのアカデミーにおける美術教育と色彩の理論が、当時のアカデミーのカリキュラムにも言及しながら、詳細に分析されている。引用され、詳述されているのはヘーゲルの美学、特に絵画における色彩の議論であり、しかも、その実例として参照されているのは、興味深いことにヤーコプ・シュレージンガー(註26)の描いたヘーゲルの肖像画である。

 18世紀から19世紀にかけての時代は、一方で感性の学としての美学の展開を見ながら、他方ではヨーロッパ列強のアジア進出を背景に、国威発揚の手段としての美術館建設と作品蒐集が行われ始めた時代である。各地における美術アカデミーの設立は、そうした時代背景のもとに、美術家の養成を目指したものであった。美術館の建設と作品の公開は、芸術鑑賞の様態をも変えていく。そもそも、宗教的な背景を離れて独自の価値を持つ「芸術」という観念の成立は、これと軌を一にしている。すなわち、Kunstの意味が、「人為」や「技術」から「芸術」へと転換するのである。芸術作品が新しい意味を獲得する時代であったといってもよい。

 ヘーゲル美学をそのような歴史的背景と社会的要請の上に据えて考察しなおす必要は十分ある。例えば、1820/21年講義録においても、編者が序文で「芸術の終焉」というヘーゲル美学を語る際のクリエシェとすらなった用語を用いて説明をしているにも関わらず、本文中にはその意味での「芸術の終焉 (die Ende der Kunst)」は一度も登場しないのである。芸術は終焉どころか、今まさに生まれようとしていたのであった。

 ホトーは、自身の編纂になる『ヘーゲル美学講義』第二版の第三部「諸々の個別芸術の体系」を、「第一章 建築術」「第二章 彫刻」「第三章 ロマン的芸術」に区分し、ロマン的芸術をさらに、絵画・音楽・詩に分類した。これは、いわゆる「芸術の終焉」説に立って、象徴的芸術から発展した古典的芸術が、近代のロマン的芸術において堕落し、終焉を迎える、という理解に沿って構想された章立てであるといえよう。ここでは、「第二部 美の特殊な形式への理想の発展」に示された、象徴的芸術形式→古典的芸術形式→ロマン的芸術形式と重なる形で、建築術→彫刻→ロマン的芸術という流れが形成されることになる。

 だが、1820/21年講義の筆記録はそのようには読めない。「第二部 特殊部門」の冒頭に、「造形芸術」という章立てがあるのである。しかし、「造形芸術」には分類できないそれ以外の芸術についての記述が始まる部分には、それに対応した章立てが存在しない。おそらく、筆記者の書き落としであろう。この部分を?st.44-45の記述をもとに復元するなら、造形芸術である建築・彫刻・絵画に対して、音という移行を経て、普遍芸術である語りの芸術、すなわち詩が登場する、という構造が見えてくる。ここには、象徴的・古典的・ロマン的という横軸に対して、造形芸術・音・普遍芸術という縦軸が組み合わさる、という展開が生じている。一方の側面は、建築や彫刻や絵画、あるいは音楽や詩が、それぞれ固有の時代と精神を持っていて、象徴的・古典的・ロマン的の各芸術形式を代表している、という面である。これに対して、象徴的・古典的・ロマン的の各芸術形式が、それぞれの表現素材と表現方法をそれぞれの時代において獲得することで、あるいは造形芸術であったり、あるいは普遍芸術であったりもする、という側面がもう一方にある。両方の側面が折り重なって、各種の個別芸術は、複合的で多彩な性格を持つ個別芸術ジャンルとして共存しうることになるだろう。ここには、「彫刻という古典的芸術を頂点に、以後芸術はロマン的芸術へと衰退・堕落し、最終的に終焉を迎える」という通俗的なヘーゲル美学理解とは全く異なる、豊かな世界が展開している、と言えよう。

 これまであまりに重視されてこなかったヘーゲルの芸術体験に註目を向けて、19世紀初頭の芸術状況を俯瞰する共同研究が、現在筆者を中心として進められている。本稿は、この研究の一環として、『精神現象学』と1820/21年の美学講義とを架橋するための、一つの試みである(註27)

1820/21年『講義録』とSuhrkamp社版『美学講義』の対照表
1820/21年講義の目次(?st.5-7を修正)ホトー第二版に基づくSK13-SK15の目次巻・頁
序 論021 序 論Vol.13:011-124
第一部:一般部門047 第一部:芸術美の理念または理想Vol.13:125-386
 第一篇:芸術の一般部門047
  第一章:美の概念047  第一章:美的なもの一般の理念Vol.13:145-156
  第二章:美に対する精神の関係について051  第二章:自然美Vol.13:157-201
  第三章:自然美と芸術美の区別065  第三章:芸術美または理想Vol.13:202-386
 第二篇:芸術の特殊部門109 第二部:美の特殊な形式への理想の発展Vol.13:387-392
  第一章:芸術の象徴的形式110  第一章:象徴的芸術形式Vol.13:393-546
  第二章:芸術の古典的形式139  第二章:古典的芸術形式Vol.14:013-126
  第三章:ロマン的芸術162  第三章:ロマン的芸術形式Vol.14:127-242
第二部:特殊部門185 第三部:諸々の個別芸術の体系Vol.14:243-Vol.15:574
 第一篇:造形芸術192
  第一章:建築術193  第一章:建築術Vol.14:266-350
  第二章:彫刻208  第二章:彫刻Vol.14:351-462
 第三章:ロマン的芸術Vol.15:011-547
  第三章:絵画240   1.絵画Vol.15:016-130
 第二篇:音楽278   2.音楽Vol.15:131-221
 第三篇:語りの芸術290   3.詩Vol.15:222-574
  第一章:叙事詩304     I.叙事的な詩Vol.15:325-414
  第二章:抒情詩314     II.抒情的な詩Vol.15:415-473
  第三章:劇詩317     III.劇詩Vol.15:475-574
     終わり331      終わりVol.15:574

【Äst.5-7に対する修正についての註記】

1.Ästでは、「部」に当たる箇所は編者がA, Bと補っているだけで、表題しかない。「章」は表題の前にローマ数字で附番されている。

2.Ästでは、音楽に独立のローマ数字が振られておらず、「語りの芸術」の前にローマ数字のIV.が編者によって補足されている。これだと、「音楽」が「絵画」の後の付け足しなのか、それとも「絵画」と「音楽」をひとまとまりのものと考えているのか、判然としない。

3.ここに示したのは、編者の補足した章番号を、本編の内容に即して再検討したものであり、筆者の試案である。


註1
『精神現象学』からの引用は1807年の初版(System der Wissenschaft von Ge. Wilh. Fr. Hegel. D. u. Professor der Philosophie zu Jena, der Herzogl. Mineralog. Societät daselbst Asseßor und andrer gelehrten Gesellschaften Mitglied. - Erster Theil, die Phänomenologie des Geistes. Bamberg und Würzburg, bey Joseph Anton Goebhardt, 1807)を用い、PhGと略記してページ数を本文中に示す。新全集版の該当箇所もGW09と略記の上ページ数を示す。テクストは、一橋大学古典資料センター所蔵の二種の初版本(タイトルページ有りとタイトルページ無しの二種)から筆者が作成した電子データである。 本文へ戻る
註2
Johann Kaspar Lavater (1741-1801). 主著はVon der Physiognomik (1772)およびPhysiognomische Fragmente (1775-78)。ラーファーターはゲーテとも親交があった。 本文へ戻る
註3
Franz Joseph Gall (1758-1828). 主著はAnatomie et physiologie. 4 vols. Paris (1810-19)(J. C. Spurzheim (1776-1832)との共著)。ただし、これは『精神現象学』の出版より後に刊行されたものである。ヘーゲルは『精神現象学』執筆前にイエナで彼の講演を聴講していた。 本文へ戻る
註4
ヘーゲルは以上の論述で、ラーファーターの用語である「記号=Zeichen」を確かに使用しているのだが、これはソシュール以降の言語学が用いている「記号」の概念とは異なる。ソシュールの『一般言語学講義』(小林英夫訳、岩波書店1977年)第I編第一章(p. 95ff.)によれば、記号は「意味するもの」、「意味作用」であって、能動的な意味を持つ現在分詞を用いてsignifiantと表され、他方、記号によって指し示される語の意味やイメージは、受動の意味を持つ過去分詞を用いてsignifiéと表現される。しかし、ヘーゲルの論理は正反対である。ヘーゲルにとって、人相や骨の形はあくまでも表された「記号」であり、物質的な何かに過ぎない。Zeichenとはいってもsignではなく、むしろ「徴(しるし)」である。「徴」には神の御姿が現れたりするが、それは徴が能動的に神を指し示すからではない。神がそのようなものとして徴を御遣わしになるからこそ、徴は「記号」なのである。 本文へ戻る
註5
中江兆民全集第8巻187頁、『三酔人経綸問答』岩波書店(1984)。 本文へ戻る
註6
Ernst Kretschmer (1888-1964). 本文へ戻る
註7
・1820/21: G. W. F. Hegel. Vorlesung über Ästhetik, Berlin 1820/21. Eine Nachschrift. I. Textband hrsg. von Helmut Schneider. Frankfurt am Main (1995). 本稿では主にこのテクストを扱う。Ästと略記して頁数を示す。
・1823: Georg Wilhelm Friedrich Hegel. Vorlesungen über die Philosophie der Kunst, Berlin 1823. Nachgeschrieben von Heinrich Gustav Hotho, hrsg. von Annemarie Gethmann-Siefert, Georg Wilhelm Friedrich Hegel Vorlesungen, Ausgewählte Nachschriften und Manuskripte Bd.2, Hamburg (1998).
・1826: Georg Wilhelm Friedrich Hegel. Philosophie der Kunst, Vorlesung von 1826. Hrsg. von Annemarie Gethmann-Siefert, Jeong-Im Kwon und Karsten Berr, Frankfurt am Main (2004).
・1826: Georg Wilhelm Friedrich Hegel. Philosophie der Kunst oder Ästhetik, Nach Hegel. Im Sommer 1826, Mischrift Friedrich Carl Hermann Victor von Kehler, hrsg. von Annemarie Gethmann-Siefert und Bernadette Collenberg-Plotnikov unter Mitarbeit von Francesca Iannelli und Karsten Berr, München (2004).
2015年11月現在、新全集版で美学講義の刊行が始まり、その最初の巻(Bd.28-1)が刊行されたところである。これには、上記の1820/21年講義録と1823年講義録が収められている。現存している上記以外の講義筆記とその状態については、新全集版ではなく、上記各巻の編集報告を参照のこと。 本文へ戻る
註8
Georg Wilhelm Friedrich Hegel's Vorlesungen über die Ästhetik. hrsg. von H. G. Hotho. zweite Auflage. Berlin 1842-43. 本文へ戻る
註9
上記第二版IX-XIII頁参照。Suhrkamp社版の20巻本著作集(以下、引用の際はSKと略記し、巻次とページ数を記す)中のホトー版『美学講義』最終巻 (SK15)巻末の付録として収録された初版の序文は抜粋である。 本文へ戻る
註10
芸術は自然の模倣であるというのは、ディドロの絵画論の基本的なテーゼである。 本文へ戻る
註11
このことは、レッシングの『ラオコーン』が主張する造形芸術と詩との違いにも関連しよう。 本文へ戻る
註12
Winckelmann's Geschichte der Kunst des Alterthums. erster Bd. - vierter Bd. zweite Hefte, in Winckelmann's Werke, hrsg von Heinrich Meyer und Johann Schulze. 3er Bd. - 6er Bd. 2te Hefte, Dresden, in der Waltherschen Hofbuchhandlung (1809-1815). 本文へ戻る
註13
ヴィンケルマンの名前の正しい綴りは、Winckelmannであるが、講義録の筆記者はcのつづり字を落として、Winkelmannとつづっている。 本文へ戻る
註14
Aloys Hirt (1759-1839).ドイツの美術史家。 本文へ戻る
註15
Peter Camper (1722-89). ラテン語でPetrus Camperとも綴る。以下のドイツ語版と邦訳を参照のこと。
ドイツ語版:Peter Camper. Über den natürlichen Unterschied der Gesichtszüge in Menschen verschiedener Gegenden und verschiedenen Alters; Über das Schöne antiker Bildsäulen und geschnittener Steine; nebst Darstellung einer neuen Art, allerlei Menschenköpfe mit Sicherheit zu zeichnen. Nach des Verfassers Tode herausgegebenen von seinem Sohne Adrian Gilles Camper. Übersetzt von S. Th. Sömmerring. Mit zehn Kupfertafeln. Berlin (Vossische Buchhandlung), 1792.(ペーター・カンパー『様々な地域、様々な年齢の人間における顔面角の自然な相違について。古代の彫刻円柱および石材彫刻の美について。ならびに、あらゆる人間の頭部を確実に描くための新しいやり方に関する説明。著者の死後にその息子アドリアン・ギレス・カンパーによって編纂された。S. Th. ゼンマーリングによる翻訳。銅版画10葉を含む』)/上記ドイツ語版からの邦訳:『カンパーの顔面角理論』森貴史 訳・解説、関西大学出版部(2012)。残念ながら、筆者はいまだにこのドイツ語訳の元になっている原書(オランダ語なのかラテン語なのかも不明)にたどり着けていない。カンパーの経歴については、邦訳の解説(147頁以下)を参照されたし。 本文へ戻る
註16
Camper前掲書VI. ff.(邦訳viii以降)。 本文へ戻る
註17
Camper前掲書第一部第三章第一節S.16-18(邦訳p.31-35)。 本文へ戻る
註18
Camper前掲書第一部第三章第三節以下S.19ff.(邦訳p.36以下)。 本文へ戻る
註19
Camper前掲書第三部第三章第四節S.62f.(邦訳p.118)。 本文へ戻る
註20
邦訳『カンパーの顔面角理論』訳者解説p.147。 本文へ戻る
註21
ディドロ『絵画について』(佐々木健一訳、岩波文庫 (2006))及び佐々木健一『ディドロ『絵画論』の研究』中央公論美術出版(2013)参照。ヘーゲルはゲーテによるドイツ語訳(Denis Diderot. Diderots Versuch über die Malerei. Übersetzt und mit Anmerkungen begleitet von Johnn Wolfgang von Goethe (1799))を参照している。筆者の手元の刊本はtredition GmbH, Hamburg. ISBN: 978-3-8472-3559-0である。 本文へ戻る
註22
佐々木健一による訳、および『ディドロ『絵画論』の研究』参照。佐々木はこのうちの第四章「明暗法の検討」をディドロの本来の構想には含まれなかったテクストとして除外し、全七章とする。 本文へ戻る
註23
Goethe前掲書S.37.佐々木健一前掲書第二部付録「ゲーテとディドロ――『ディドロの絵画論』の分析――」p.739以下参照。 本文へ戻る
註24
Goetheのテクスト: Wer das Gefühl des Fleisches erreicht hat, ist schon weit gekommen; das übrige ist nicht dagegen. Vorlesungenのテクスト: Der Maler, der das Gefühl des Fleisches erreicht hat, ist weit gekommen; alles andere ist Nebensache. 本文へ戻る
註25
Annik Pietsch. Material, Technik, Ästhetik und WISSENSCHAFT DER FARBE 1750-1850, Eine produktionsästhetische Studie zur «Blüte» und zum «Verfall» der Malerei in Deutschland am Beispiel Berlin. Berlin (2014). タイトルを試みに訳せば、『素材、技法、美学、そして色彩の学 1750-1850――ドイツ絵画の「隆興」と「没落」についての創作美学的研究、ベルリンを例に』となる。 本文へ戻る
註26
Jakob Schlesinger (1792-1855). ドイツの画家・絵画修復家。上記の書物に掲載されているヘーゲルの肖像画は、1831年のヘーゲルの死の直前に描かれたものである。 本文へ戻る
註27
本稿は、2014年度~2017年度 科学研究費助成事業 基盤研究(B) 「ヘーゲル美学講義に結実した芸術体験の実証的研究」課題番号26284020(研究代表者:石川伊織)に基づく共同研究の一環である。 本文へ戻る

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2014年度~2018年度 科学研究費 基盤研究(B)課題番号:26284020 ヘーゲル美学講義に結実した芸術体験の実証的研究

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ISHIKAWA, Iori. Emeritierter Professor an der Universität der NIIGATA Provinz
新潟県立大学名誉教授 石川伊織
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最終更新日:2024/8/31